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PHOTO TALK(5)

黒い石を撮る





突然ですが

「動十分心、動七分身」(どうじゅうぶんしん、どうしちぶしん)
……という言葉をご存じでしょうか。
能を大成させた世阿弥の言葉です。
なぜ、こんな言葉を知っているかというと、以前、とある文化会館のイベントパンフレットの原稿を書いたことがあって、そのときの紹介イベントが能だった時に、資料の中から見つけました。
いくら、ライター(もどき)とはいえ、能については全くの素人に書かせるなんて、今思ってもとんでもない話じゃないでしょうか……という話はさておき。
そんなこんなで苦労して書いた文章で使った言葉なので、頭に残っているのですが、意味は、「心は100%動かし、実際の演技は70%に抑えよ」というようなことらしいです。
世阿弥の言葉としては有名な(?)「秘すれば花」に通じる言葉と言えるかもしれません。


石の写真に通じる言葉

突然こんな言葉を持ち出したのは、最近、石の写真を撮っていて、なんとなく通じるものがあるような気がしてきたからです。
私は石の写真を撮りますが、私の写真はネットショップの商品写真にはならない……と思います。
補正はかけても変形はしていないし、疵や欠けを消すこともしていません。紛れもなく石の写真なのだが、実物の石とは違うのです。
石の思いがけない表情を写す、と言えば聞こえがいいですが、要は石の一部分しか写してないのだと思います。
アップにすることで石の一部分を切り取るという意味ではなく、数ある石の表情の限られた一部しか写していないという意味です。


想像の余地は心の動き

でも、私自身はそれでいいと思っています。
石の表情は、見る人によって限りなくあるのだし、見た人が見つけた数だけあるはずだから。
ならば、私は自分に見える石の表情に迫りたい。
そこで「動十分心、動七分身」の言葉が浮かぶのです。
心を100%動かし、実際の動きは70%に押さえよ……とは、言い換えてみれば「観客に30%の想像の余地を残せ」という意味にもなるし、「押さえても、観客に想像させ得る演技であれ」という戒めにもなり、「動きを押さえるために、何を切り捨てられるのか」と問いかけるものでもあります。
あるいはもっとも厳しい意味は「動き以上に心を動かしているか」というものかもしれません。


「甘えるな」

時々、私は写真を撮りながら、なぜか「甘えるな、甘えるな」と考えています。
石の美しさに甘えるな、きれいにとれたからといって、終わりにするな。
タイトルを付けるのに、言葉の数を使って甘えるな。
甘えを振り切って、そぎ落とせるところをそぎ落として、自分の感覚をきりきりと締め上げなければ、石に迫ることができないような気がしてしまうのです。

このブラジルのモリオンを写したときは、なぜか、そんな感覚を強く感じました。
「石の美しさに負けるな」と書いたけれど、この石はカザフスタンのモリオン以上に艶がなく、あちこち欠けて、言ってみれば「石ころ」的外観をしています。
そこにペンライトで一部分だけに光をあてて撮ったのですが、

光によって石のディティールが浮かび上がり、
輝かないはずの石が輝き、
不透明なはずの石が光を透し、
ある部分は影に沈みました。

反射させ、透かし、影に落とす……。
その3つの要素を意識したのもこの時だったし、石に向かって意識をきりきりと絞り上げる感覚を実感したのもこのときでした。
以来、わけもなく自分に挑戦的になりながら、石の写真を撮ってきたのですが、最近にわかに気になるこの言葉。


心は動いているか?

以前に比べて石について少しはくわしくなったし、写真も撮れるようになった。
だが、そんなことに惑わされて、心を動かすことを忘れていないか?
エラそうなことを言って写真を撮って実際に心はそれ以上に動いているか?

……どうなんだろう。


(2004年7月17日、ブログ掲載)

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