写真および文章の無断転載・転用はご遠慮下さい。

女神からのキー・ワード(後編)



※この写真はイメージです

マリアという女神信仰

さて、後編です。
水晶の5角形のファセットに(錐面)について調べていた私は、ふとあることに気がつきました。

この「気がついたこと」についてお話しするには、まず、私が予備知識として何を知っていたか、ということをまとめておかなくてはなりません。
●世界各地の古い宗教に女神信仰があり、大地を女神と考える所が多い。
●キリスト教以前のヨーロッパにも女神信仰があった。
●女性の妊娠・出産能力は女神の力と同一視され、かつては神聖なものとされていたらしい。
●イシスが我が子ホルスを抱いている像は、キリストを抱くマリア像に影響を与えた。
●「黒いマリア像」なるものがあり、これは古い女神信仰の流れをくむものであるらしい。
……浅くではありますが、こんなことが頭の中にありました。

そこに、今回新しく入ってきたのは、「初期のキリスト教にはマリア信仰はなかったが、いつの間にかマリア信仰が組み込まれた」ということです。

調べてみると、確かに初期のキリスト教会では、マリア崇拝に反対していましたが、人々の要求は広がり、紆余曲折を経てキリスト教の中に正式に組み入れられたのです。
そして、古き女神の流れを汲むという、「黒いマリア像」の存在。
異なる宗教の神々をも大らかに取り込んでいたギリシャやローマならいざ知らず、他を取り入れることについては、いささかかたくななように思われるキリスト教ですら、マリアを……女神を信仰する動きを止められなかった。

そう考えたとき、頭に浮かんだのは、
女神信仰は、人の心の根底にある。
……ということでした。
そう考えたとき、女神信仰が世界各地に存在したことが、にわかに意味を持って感じられます。

かつて、女神信仰があった。
それは人間社会や宗教が移り変わっても形を変えて蘇り、いつの間にか人々の心に、祈りとして存在した。
……ならば、今は。

人々はなぜ、大地に母を見たか

ちょっと急ぎすぎました。
まずは、太古の人々が、なぜ大地を女神……大いなる母神として捉えたのか、女神とは何なのかについて考えてみたいと思います

女神は、大いなる母神として、女性の子供を産み育てる能力と呼応するように、大地そのものであったり、大地を生み出した存在であると捉えられていることがあります。
人は見知らぬものを、自らが理解できる感覚に置き換えて理解しようとします。
まさしく大地の恵みと厳しさを肌身で感じていた昔の人々が、命の糧を生み出す大地を女性として捉えることは、ごく自然な成り行きであったことでしょう。
そしてそれは正しい感覚でもあったのだと思います。
慈悲深き母であり、厳格な裁定者であり、大いなる創造の力であり、冷酷な破壊者でもある。
子供にとって母親がすべてであるように、大地は人々にとって、優しさも厳しさも美しさも恐ろしさもすべて含めて大いなる母神であったに違いありません。
理屈を超えて、そう体感したからこそ、世界が変わり、文明が移り変わり、宗教が変化を遂げても大いなる女神への祈りは、残り続けたのでしょう。

ここで、ちょっと話は変わります。
ママ、マミー、オモニ、オンマ……世界各国の「母」を表す言葉には「M」の音が使われているものが多いのだそうです。
「M」の音が何かといえば、それは赤ん坊が母親の胸に抱かれ、乳房に吸い付いて母乳をもらうときの唇の動きから発せられる音。
安心感、温かさ、甘い満腹感……そういうものと直結した音なのです。
その音を「母」を表す言葉に使い、大人になっても使い続ける。
「言葉」の成り立ちを考えれば、文明と呼ばれるものが生まれるよりも遙か昔から、人間の母のイメージの源は「自らを育むすべて」であり、母のイメージと結びついた大地への畏敬は、女神信仰として生き続けたのではないでしょうか。

女神信仰はよみがえる

「マリア信仰」や「黒いマリア像」として、さまざまな宗教下でも変わらず行われてきた大地の恵みへの素朴な感謝の祭として、女神信仰は幾度となくよみがえっています。
すでにそれが女神への祈りであると意識することさえない、自然なものとして。
あるいは、地球を複雑な体系を持つ一つの生命体として捉える「ガイア仮説」が、驚きとともに我々の意識に取り入れられたのも、それが女神信仰に重なるものであったせいかもしれません。
女神へ祈りは、昔の人々が、誰に言われるでもなく体感し、実感していた大地に生きるということそのものなのです。

では、もう一度繰り返しましょう。
かつて、女神信仰があった。
それは人間社会や宗教が移り変わっても形を変えて蘇り、いつの間にか人々の心に、祈りとして存在した。
……ならば、今は。

それは、女神からのキー・ワード

人々は大地を歩く代わりに車に乗り、暑さにあえぐ代わりにクーラーを使い、恵みを得るのではなく、自然を作り替えて栽培し、採掘する。
そうして手に入れた自然の恵みですらも、それが生み出される場所も、どうやって生み出されるかも知らず、「もの」として店で買う。
ある意味、今ほど、人と大地の距離が遠くなったことはないのではないでしょうか。

しかし、女神への祈りは理屈を超えて心の根底にあるもの。
だからこそ、無意識のうちに
母神に抱かれる安らぎを求め、
大地に生きる実感を切望し、
女神の面影を追い求める。


そうです。
女神を求めるあがきは、そのまま「癒し」「グラウディング」「女性性」という言葉に置き換えることができないでしょうか。

「癒し」「グラウディング」「女性性」という言葉は、
女神からのキーワード。

形を変えてよみがえった太古の女神信仰であり、地球という女神とのつながりをもう一度取り戻したいと願う、たくさんの無意識の動きであるのではないか。

それが、私の達した結論です。

もっとも、私が導き出したのは、無意識全体の動きについてであり、個人レベルでは、違ってくると思いますが、全体を捉えることができれば、そこから生まれる意識も違ってくるのではないでしょうか。


補足編へ続く

写真および文章の無断転載・転用はご遠慮下さい。
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送