太古の神 テレビで放映された「もののけ姫」を見ました。 この映画を見ていると、私たち日本人の意識の奥底にある「神」のイメージがいかなるものであるかを改めて意識できるような気がします。 キリスト教世界における「造物主」とは違う、善悪の観念を超えた「豊かなもの」「おそろしいもの」。 人の意識の外にある大きな流れ……畏敬すべきもの。 神を祀るということは、願いそれを叶えてもらうためではなく、ひたすら荒ぶる神を鎮めるためではなかったのでしょうか。 神の荒ぶる半身 少し話は変わりますが、私はかつて伊勢神宮のある伊勢志摩に住んでいました。 伊勢神宮内宮の御祭神は、いわずとしれた天照大神ですが、この女神を祀る正宮(神宮の中心となる一番格式の高いお社)の裏手には、「荒御魂神(あらみたまのかみ)」を祀る「荒祭宮(あらまつりのみや)」があります。 おだやかな神の一面を「和御魂(にぎみたま)」、荒ぶる神の一面を「荒御魂(あらみたま)」と言うのだそうで、この「荒祭宮」は、天照大神の荒ぶる半身をお祀りしているということになります。 実際、さまざまな行事は正宮に準じて行われ、第一の別宮という高い格式をもって祀られています。 現在、神様といえば柏手を打って「何かを願う」という感覚がありますが、(少なくとも私にとっては……)荒祭宮のことを知ったときには、「おそれるもの」としての神の側面は、まだ生きているのだと感じました。 もののけ姫に登場する「シシ神」は、まさに「人知を越えたおそるべきもの」のイメージです。 石は地球のかけらであり、地球の「力」と人をつなぐ細い絆なのだ……と考える感覚と、自然を神を恐れ敬う感覚はどこか似ているのかもしれない……と考えてしまうのは、私だけでしょうか? 蠢く森のような 写真の石は、「ヒューランダイト」。「ヘウランダイト」と書かれるとこともあります。 和名は「輝沸石」。ヒューランダイトやヘウランダイトよりも和名で検索した方がたくさんヒットします(笑)。 本来は透明な石で、酸化鉄によって赤く発色しているものも多くあるそうです。 この緑はまたしても緑泥石によるものかと思っていたのですが、調べてみたら何と鉄分の混入によるものだとか……。赤も緑も鉄とは、びっくりです。 この石は、この豊かな緑色と表面の表情に惹かれました。 まるでうねり、うごめき、見る間に成長していく熱帯雨林のような迫力を感じたからです。 古代の人々は、自分たちを取り巻く自然の力をこんな風に感じていたのではないか……。そんな想像もふくらみます。 (2004年11月19日、ブログ掲載) |
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