チベット産? ヒマラヤ水晶

黄金のヒマラヤ




 ニブい私

私は石のパワーにニブいです。
何度も繰り返し言ってきたことなので、今さらですけれども、ニブいです。
「絶対この石なら感じるはず!」言われた石をさわっても「?」。
本やネットで書かれている、「ぴりぴりする」「あたたかく(or冷たく)感じる」……という体験もついぞ覚えがありません。

そんな私ですが、ある人に
「ちゃんと感じているんじゃないの? 言葉にする代わりに写真にしてるのよ」
と言っていただいたことがあります。
光栄です。ありがとうございます。うれしいです!

石のパワーなるものがどのように感じられるのかさえわかっていないので、「鈍いのだろう」……と思っているわけなのですが、「この石は、こう撮ろう」「うん、雰囲気が出た」……と撮っている写真や、写真を撮ることで「やっぱりこの石ってこんな感じだったんだ」と深まった印象……もしかしてそういうものは、その石が持つ「何か」の一端なのだと言ってしまって良いのだろうか……。
そんなことを考えたので、ニブいニブいと連呼する代わりに、ちょっと見方を変えて、大好きなヒマラヤ水晶についての「印象」を連ねてみたいと思います。

というわけで、今回もネタ石はヒマラヤ水晶。
やっとのことで産地が判明した、異形のガネーシュ・ヒマール産の石です。
ちょっとお断りしておきますと、この石は、ガネーシュ・ヒマール産だそうですが、お店の方はチベットの方から仕入れたのだと言っていました。そのため、ガネーシュ・ヒマールの石だけれども、チベット産と表記しておきます。
まあ、ガネーシュヒマールが位置する場所は、ネパールとチベット(中国)の国境でもありますから、チベット産ヒマラヤ水晶というのもあり得るわけです。



 ガネーシュ・ヒマール産の石の印象

異形の……というのは言うまでもなくこの色です。
ヒマラヤ水晶にはいろいろな産地がありますが、個人的に、ネパールのヒマラヤ水晶には
「モノクローム」な印象があります
シトリンやアメシストはほとんど見たことがなく、色つきといえばスモーキー。
緑泥が入っていても、それは緑と言うより黒い色彩を感じさせるのです。
透明感はすばらしいものがありますが、ブラジルやアーカンソーのような開放的な明るさとは違って、
その鋭いエッジと照りのためにコントラストが激しく、印象としてはモノクロームなのです。
前回のヒマラヤ水晶も、かなり透明感があるのですが、光の具合でご覧の通りのモノクロームです)

対してネパール産と並ぶ産地であるインドは、同じ透明な石でも「明るさ」「柔らかさ」を感じます。
緑泥のインクルージョンも色が明るく「緑」の色彩を感じさせ、中には酸化鉄か何かで全体がほんのり色づいて見える石もあり、
ネパールが「モノクロームのヒマラヤ水晶」とするならば、インドはらは「色彩のヒマラヤ水晶」という感じ。

「モノクロームのヒマラヤ」の石の中で、この色はとても目立ちます。
もちろんシトリンではなく、何か黄色いものでコーティングされて色づいています。
お店の人の話では、ガネーシュ・ヒマールといってもネパールではなく、チベット側から買い付けたそうで、近くでタールらしき黒いインクルージョンが入ったハーキマー・ダイヤモンドのような両錐の水晶が出るので、この黄色もタール由来である可能性があるということでした。


 
ゴールデンヒーラー

こういう黄色い水晶を「ゴールデン・ヒーラー」というのだとどこかで聞いたのですが、出典が定かではありません。(ご存じでしたら教えて下さい!)
ネットで調べてみると、タール分におおわれていたものを剥がすと黄色くなっている(黄色い半透明〜不透明の皮膜に覆われている)ことがあり、これをゴールデンヒーラーというのだとする説と、黄色いのは水酸化鉄や褐鉄鉱のインクルージョンによるものとする説、海外サイトでは、酸化鉄コーティングによる色だとしているものがありました。
「ヒーラー」の名前の通り、「すべてのレベルでの回復を促す」というような強い力があるのだと言うことです。

ゴールデンヒーラーは、ネパール産のヒマラヤ水晶だけに現れるのではなく、インド産にもありますし、ゴールデンヒーラーについて調べたサイトでは、アーカンソー産だったり、南アフリカ産だったりと産地はさまざまでした。

ネットで見たアーカンソー産のは、白い磨りガラス調の一部が黄色く染まっていて、全体の感じがほのぼのと穏やかで、「心あたたまる癒し色」でしたが、こちらの「黄色」は、全体の形のイメージも相まって、「包み込んで癒す」というイメージではないように思います。

これを「ヒーラー」だというのならば、それは一対一の癒しではなく、山も空も金色に染め上げる朝日や夕日の圧倒的な輝きの前には、日頃の小さな悩みは吹き飛んでしまう……。
そんな感じの「問答無用の大自然治療!」
写真を撮っていても、光に透かせば透かすほど、「金色だねえ……」「輝いてるねえ……」とその色合いに感嘆のため息です。
偶然インド産でも自然コーティングによる黄色い水晶を持っているのですが、同じ黄色でも、ふんわりにじむような柔らかさ。


 感じる、語る、考える。

……と、石を見て、さわって、写真を撮って、調べたあげくの印象を文章で表せばこうなるわけですが、これはこの石の持つ「何か」をどれほど表していることでしょうか。

かつて、パンフレットなどの文章書きの仕事で、(場所が伊勢だったので)歴史について調べたことがあります。
学術的な世界では、一般に「日本書紀」「古事記」の古い記述は、後世に創作された「神話」であり、厳密な歴史ではないということになっていますが、それに疑問を挟む説があったのです。

神話は果たして根も葉もない「作り話」なのか。
そうではない。それは語り伝えられた「事実」を違う言葉で語っているのだ。
……というのです。
たとえば、アマツカミという神を信じる一族がクニツカミを信じる一族と闘い、勝利して従えた……という出来事があったとき、神というものの存在を信じる視点で語ればアマツカミがクニツカミを従えた、という表現になります。

長い間にもととなった出来事は誇張されたり、意味が違ってしまったりしたこともあるかもしれませんが、そこには、当時の人々の心を揺さぶり、語り伝えるにたる出来事があったはずだというのです。

突然こんなことを言い出したのは、石のパワーにも似たことが言えるのかもしれないと思ったからです。
この石には「何か」がある。
それをどう感じるのかは人それぞれであり、語る言葉もさまざまです。
「パワー」であったり「気」であったり、はたまた「印象」であったり、「科学」であったり……。

石を語るにふさわしい言葉を探してみたいものです。

(2005年1月14日、ブログ掲載)


 

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