写真および文章の無断転載・転用はご遠慮下さい。
 

女神への補足・言い訳・ひとりごと

水晶の錐面の五角形を追いかけて、こんなに大変なことになるとは思いませんでした。
さすが神サマ、威力が違う。
ふと頭に浮かんだイメージを大急ぎでまとめたので、実はツッコミどころ満載です。
いまさら取り繕うのも何なので、ツッコミの上塗りをしてみたいと思います。


●イシスはイシスじゃなかった!?
今回のオドロキ! はこれ。
イシスとして知られる、かの女神のお名前は、イシスではありませんでした。
エジプト名……というか、古代エジプトの発音ではアセトなんだそうです。
ちなみに夫神たるオシリスはウシル
イシスとかオシリスというのはギリシアの発音になるのだそうです。


●アマテラスも、もしかして
伊勢神宮内宮の御祭神は天照大神。太陽神であり、女神です。
世界的に見ると、太陽神が女神である例は珍しいのだそうで、そのため、太陽神はもともと男神で、アマテラスは神に仕える巫女であったものが、後に女神としてクローズアップされたのだとか、日本書紀が編纂されたときに、当時女帝だった持統天皇に重ね合わせてアレンジされてしまったのだとか、いろいろな説があります。

個人的にはいくら歴史書を書き換えても、そう簡単に作り話が浸透するとは思えません。
むしろ、「女神信仰」にばっちりマッチしてしまったために受け入れられたのでは……と考えてしまいました。
※余談ですが内宮は「ないくう」と読みます。「ないぐう」ではありません。
伊勢神宮では、「衛士」という平安時代の役職名が未だ現役です。


●ちょっと言い訳、ひとりごと
自分が書いた文章を読み返してみて反省しました。ちょっと「女神」を連呼しすぎています。
特に後編の「女神」は、「地母神」「大地」……うーん、むしろ「大地に対して人々が感じた何か大きなもの」と変換していただきたいです。
……というのは、「女神」という言葉は「やさしさ」「愛」など、柔らかくて明るいイメージが強いです。
しかし私が論じたかった女神は、「畏怖」「残酷」「死」など、
暗い一面も確かに兼ね備えた存在なのです。

女神には処女性と母性の両方のイメージがありますが、ここでは母なる大地のイメージに連なるものとして「母性」の側面から話を進めます。
この「母性」「母」という言葉を現代のイメージで捉えると、そこから意味合いが変わってしまうと思います。

現代では、医学も社会も発達し、安心で安全な生活が当たり前となり、その中で子供は守り慈しまれます。
このような中では、「母」「母性」という言葉は、「やさしさ」や「愛」と同義のイメージが強くなります

しかし、大地の恵みに頼って生き、大地に真摯な祈りを捧げていた時代、子供を取り巻く環境は、今では想像もつかないほど厳しいものであったことでしょう。
この世に生を受けても無事成人できるものは少なく、大人ですら天寿を全うできるとは限らなかったのです。
もちろん、その時代にあっても子供は愛しいものであったに違いありませんが、母親が、あるいはこれからまだ生きて子孫を残せるもの達が生き残るために「子殺し」という行為が存在した時代があるのです。
それほどまでに、子供にとって母親は「すべて」でした。母親がいなければ、それは自らの死を意味するほどに。
母親は「命」と直結していたといえます。
そして人々は、大地という理解を超えて大きなものを「母」……「母なる神」と呼んだのです

自らの命を意味するほどに重い言葉である「母」が、今の「母」のイメージで同じであったとは思えません。
守り、慈しみ、育む一面と、一転して命を奪う恐ろしい一面と。
女神を語るには、相反する面をもろともに見つめなければならないのではないのでしょうか。



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送