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調和の六角形 「▽」の意味はすでに述べたとおりですが、この世ではないあの世からくるという方向とそれを受け止める器の形である「▽」が水晶が溶け消えていく課程である蝕像として現れる偶然。 そしてもうひとつ。 「▽」と対称のイメージである「△」が組み合わさると、イスラエルの国旗にも使われている六芒星となります。上と下、正と負、生と死、男と女。相反するイメージをひとつにしたこの図形は陰と陽の統合であり、「調和」であり、「完全」であり、西欧の伝統では天空=大宇宙の諸力を制御する鍵として用いられます。 同じく呪術的意味の強い五芒星(☆)が上下逆になると意味を変えるのに対して、六芒星は上下を逆にしても形が変わらないために、普遍の大宇宙を示すというのです。 さて、水晶においては面の形は、別の図形のアウトライン(シルエット)であることがあります。 エジプトの女神イシスの象徴であったシリウス(☆)は五角形、十字軍のテンプル十字のアウトラインはグラウンディング・フェイスの八角形でした。 六芒星のアウトラインは六角形。 言うまでもなく水晶の基本スタイルである結晶の断面の形です。 六角形の結晶を持つ鉱物は他にもいろいろありますが、地球上に多く存在する石英の結晶であり、古来から神秘的な力の宿る媒体として扱われてきた(らしい)水晶の形が六角形であるというのは、とても印象深い偶然です。 これを単に偶然とするのではなく、まさしく大地の結晶である水晶が、宇宙と調和を意味する六角形の形を持ち、それが溶け消える際に、この世ではないあの世からくるという方向とそれを受け止める器の形である「▽」を浮かび上がらせる。 ……これに何か意味があるとしたら、一体なんなのでしょう。 トライゴーニックと死と 私は、トライゴーニックに「死」という、一見恐ろしいイメージが付加されているのを不思議に思いました。 なぜ、「死」なのか。 ここに水晶の六角形が調和と宇宙であるというイメージを重ね合わせると、この「死」が、個人の「死」を意味するものではないような気がしてきました。 「イシス」や「グラウンディング」について考えたときにも思いましたが、石のメッセージ(と考えられるイメージ)は、対個人(石の持ち主)に向けられたものというよりも、むしろもっと大きなものではないでしょうか。 「調和」「宇宙」を意味する形を結晶に持つ水晶が、溶け消えながらその身に浮かび上がらせた「死」のイメージを持つ「▽」。 ここまで考えたとき、本の(漫画だったかも)一説が浮かびました。 「とって食う」ことばかりを考えて 「とって食われる」ことを忘れたものは、 いつか何かに退治されてしまう気がする。 地球に生きる命は、良くも悪くも「食う、食われる」のルールの中にあり、そのルールは命が失われることで別の命がつながれていくサイクルを作っています。 しかし、「とって食われることを忘れた」人間はこのルールから、はみ出しかけてはいないでしょうか。 環境を変える術を身につけた人間は、地球という自然の中に生きていることを、忘れかけてはいないでしょうか。 命の円環 かつて人間は、やさしく・深く・厳しく・恐ろしい自然を、力の及ばない何か大きなものとして畏敬してきました。しかし、「まつり」からもおそれ敬い身を慎む「祀り」の側面が失われ、ただ浮かれ騒ぐ「祭」だけになってしまったように、人間は「何か」を忘れてしまったのではないでしょうか。 トライゴーニックの「▽」に託された「死」のイメージは、人間が忘れた「何か」に対するメッセージのように思われます。 「死」を思い出せ。 死んで大地に返る命であることを思い出せ。 それは 地球の命の輪の中で生きていることを思い出せ。 ということなのかもしれません。 だとしたら……トライゴーニックが「強い石」だと言われるのもわかるかも……。 と、ニブい私は考えました。 最後に。 ……というわけなので、トライゴーニックは「溶けてできた▽」に決定! 個人的に限定させていただきます!。 (2006年6月22日、ブログ掲載) |
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